Love per Blemish Duo ギター湊進悟
曽我昌成という男を誰かに分かりやすく説明する、という事が難事である、と云う事はこの文章に辿り着いた方にはご納得頂けるとは思う。私は公私とも、仕事とプライベート、演奏も通して彼を見てきた10年以上の時間を振り返り、彼を改めて皆様に紹介する。ただドラムのうまい人、ではない側面が少しでも伝えられ、彼はそういう人だ、と喜んで頂ければ望外の喜びである。
彼との出会いは今の職場で、入社するには少し年齢の高かった私より更に上の年齢だった。私は先輩だったが、彼の目が何か鈍く鋭い感覚を持っている印象を受けた。後に前職で大変苦労した話を聞くのだが、それはもっと後の話である。
そんな彼が、飲みに行こうと誘って来た。今から考えれば、彼は、若い時の無茶でもう酒を飲めない身体になっており有り得ない事が分かるのだが、その時は知る由もなく、ただ良い店があるという言葉を信じてついて行った。
辿り着いた場所はレンタルスタジオで、フェンダーメキシコの凄まじい弦高のレンタルギターを渡して来て、『さあ、音を出しましょう』と言う。何の準備もしていないが、音で会話するには丁度よく、彼の出す音に返しては受け取り、受け取っては返すという時間が楽しい時間になったのは言うまでもない。
その後2回のスケッチライブを経て生まれたのが私の唯一のアルバム『Roar of the Still』になった。
それから仕事が忙しく、人生も多難で私は音楽からは遠ざかったが、友人として、同僚としての関係は続いた。彼の事を友人として見続け、言葉を受け取ってきたが、彼の特徴は驚くほどピュアであると同時に、それをそのまま表現出来ず、天邪鬼にも自身がトリッキーな存在であることでそれを隠そうとしている事に気がついたのだった。
人との何気ない約束は死んでも破らないでいるが、進んでヒールを引き受けたり、またそれを楽しむ様なところ、というと、これを読む方が深く頷いて頂いている様子が目に浮かぶ様である。
生来のピュアさに加え、この自身をトリッキーな存在として位置付けていることが、彼に対しての不当な評価を生んでいたと私は考えている。天邪鬼が少し強いところがあった。大いに誤解を生む部分であった。
しかし近頃の彼を見ていると、様々な波に洗われ、より生来のピュアな部分が露わになって来ていると感じる。それはドラムのプレイやサウンドからも感じられる。今一緒にプレイしている方は特に強く感じておられるのではないかと思う。
その音は決して弛まぬ研鑽のみで得られたのではない。彼の生きて来た全てだと、私は彼のプレイを聞く度に感じる。
生き方とサウンドが同期する様な次元のプレイヤーがどれだけいるだろうか。剥き出しの魂を感じさせる事が、表現者としてのひとつの到達点だとして、それは技の研鑽のみで辿り着けないものなのだ、と言う事を彼の音から教わった。
そんな彼とプレイ出来る事は幸いである。齢50を超え、彼は底抜けにピュアで、天邪鬼も程よく彩りを与える程度の悪さに飼い慣らされている。ただの照れ屋、くらいには巧みに。
過去も今も、ピュアとトリッキーが彼の魅力であり、だから彼は皆に愛されているのだと私は思う。私も心から彼と云う存在を愛してやまない。
あなたと過ごした今までと、これからにありがとう。ずっと遊ぶ様に生きて、どんな時も笑ってみることにしよう。あなたがそうして来た様に。
